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| 書簡集・・・平成19年3月分です。 | |
| 書簡 その196 思い出 (平成19年3月18日) | |
新聞のコラムで宮尾登美子さんの高知では「ヤマモモの実を珍重する。梅雨空になるとヤマモモ売りが来るのを 心待ちにする」という記事を読んで、子どもの頃食べた、あの、あまずっぱい味を思い出した。何処で採ったんだろう。 遊び場だった山王さんの境内か、虎ノ門の大倉集古館の庭か、それとも霊南坂を上がったお寺の裏だったのか。 そう思うと東京でもいろんな木の実を採って食べたものだ。季節ごとにグミ、クワ、ビワ、イチジク、ヤマモモそれに すっぱいユスラウメ。広場や空き地で自由に採ることができた。そうだ昭和20年代の赤坂はお屋敷跡の空き地が たくさんあって、そこにもぐりこんでは木の実を採ったんだ。クワの実を食べて口のまわりをまっくろにして。そう まっくろといえば小さな黒い(紫)さくらんぼの実も食べた。これも手や口のまわりが、まっくろになり、一緒に食べた ワルガキどもが顔を見合わせて笑いあったものだ。東京にも古里があったんだ。物の少なかった時代、それでも 何かを利用して明るく楽しく暮した時代があったんだ。そんな東京の暮しを伝えたい。 |
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| 書簡 その195 ふと思う (平成19年3月6日) | |
僕の中で若い頃には、幕末の激動の時代、若者達が本当に日本という国を憂いて激しく揺れ動いた時代に生まれ て来たかった、と思った頃があった。また、明治末期から昭和の初期に掛けて「至る処に青山あり」と大陸に飛び 出していった時代に生まれれば等と思った事もあったが、考えてみれば大戦後の廃墟から凄まじい発展を遂げ宇宙 に行くという夢が実現した文明社会。この現代に生きたということはすばらしい事だと思う。 つまらない事と言う人もいるかも知れないが、何より2000年という世紀を跨いで生きたという事は凄い事だと思う。 (ただ偶然でしきゃないのだが)でも、これって凄い事だと思いません?こんなことを考えるようになたのは年の所為 なのかなぁ。そんなことを思う、今日この頃です。ご意見、窺いたい。 |
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| 書簡 その194 3月2日 (平成19年3月2日) | |
仕事で下谷稲荷町のスタジオに行く。上野駅から3分。下谷稲荷のすぐ近く。この下谷稲荷だが元々は上野の山に あったのだが寛永4年、寛永寺の建立にあたり、上野山下に移され、その後この地に替地造営された。昔から(西暦 730年創建と伝えられる。)「正一位下谷稲荷社」と称されていたころからこの町を稲荷町と云うようになった由緒ある 神社。また寛政10年(1798年)には江戸で初めて寄席が行われた由縁の地で境内には「寄席発祥の地」の石碑が 建っている。明治5年に神社名を「下谷神社」と改めたと記されている。子どもの頃、母に連れられてお参りに来た頃は この辺り一帯は「しもたや」で大きな鳥居と社殿が鎮座ましましていたものだが、今ではビルに囲まれ窮屈そうな佇まい である。この神社に限らず子どもの頃、遊び場だった虎ノ門の金毘羅様や先日訪れた神田明神や湯島天神など都会 の神社には昔の印象と違ってとても狭く感じるのは周りの景色の為ばかりだろうか不思議な気ががした。 収録を終えて表に出るとバッタリと新派の勝見史郎と会う。この勝見史郎さん、知る人ぞ知る新派の名脇役である。 初代水谷八重子に師事。女形から男役、ジジイ、ババアから丁稚まで何でも熟す貴重な存在。「忙しい」かと聞くと 「ひまひま」という答え。こんな人が暇とは、もったいない。お茶を飲むことにするが、話はやっぱり芝居の話。 新国劇新派の名優伝、同世代の人とは気兼ねなく話が合う。アッという間に二時間。久しぶりに楽しいひと時だった。 人間、喋るとストレス解消になるというが本当だ。このところツキがないと思っていたが、運が変るといいなぁ。 |